3. 誕生までの歩み・後編
■最初の転機・再び半導体
ところが思わぬ転機が訪れます。“ITバブル”が弾け、所属するIT部門の閉鎖が決定します。これを機に新たなる挑戦のため丸紅の退職を決意。このとき大変有難いことにお誘い頂いた会社は多く、なかでも熱心に誘って頂いたのがTOWAの創業者でした。
シリコンサイクルと呼ばれる半導体業界特有の景気変動は、上下の振れ幅も激しく、サイクル期間は短くなり、厳しさを増していました。しかもITバブルが弾けたばかりで、先行きは全く不透明。半導体はコリゴリ、これが本音でした。当時、TOWAは2002年3月期に連結売上136億円に対して28億円の赤字で、2003年3月期も大幅な赤字が見込まれていました(最終、連結売上144億円に対して33億円の赤字)。創業者は諸般の事情で会長職に退かれていましたが、京都から東京へ毎週お越しになり「経営再建を手伝って欲しい」と何度も頭を下げられました。それだけでなく13年間も「TOWAに来てくれ」と言われ続けていたこともあり、男冥利に尽きると思って京都に行くことを決め、2003年4月にTOWAに入社しました。
■再び、経営再建
希望退職、海外子会社の売却と再編、繰延税資産の取り崩し、事業の売却等、定番となる経営再建を推し進めました。当時、指示待ちが当然で、新しく挑戦する前にできない理由を並べる社風が蔓延し、再建の障壁になっていました。
ある時期、受注があっても金型の生産対応力がその半分しかなく、月次の生産販売量が伸びません。この原因は人員不足とする報告を受けていたので、1ヵ月限定トライアル「金型増産計画」と称し、コスト度外視で派遣やパートを増員して生産能力の伸長を検証すると指示しました。すると、中途半端な増員は仕事を教える手間が増えて反対との声が上がり、別の改善案の提案が現場から出てきました。結局、従来工程を見直して月産50%の増産を実現し、更にネック工程設備の増設を含めた生産システムの改善で更に50%生産能力を高めることができました。
現場に精通している従業員が「改善案」を提案しないのは理由があるのです。経営陣が明確な打開策の方針を示さずに「工夫しろ!」と抽象的な指示を繰り返し、それでは好転するはずもないのに責任を下位職に押し付けます。すると現場は責任を怖れて硬直し、言われたことだけ取り組み、改善は進まずに業績は低迷し続けます。経営は分かりやすい方針を示し、現場のやる気を引き出す環境づくりを心掛けるべきです。
■自他ともに誇れる会社
澱みきった社風を改革するべく、中期経営計画を30~40代の課長や係長クラスを集めて合宿を行ない、自分たちの会社をどうしたいのかを徹夜で議論してもらいました。そこで得た結論は「自他ともに誇れる会社」。
この結論をベースに作られた中期経営計画の意図するところを繰り返し説明し、従業員の提案も吸い上げようと考えました。そのため、一回につき15名を限度に食事しながらのミーティングを開催しました。社長在任中には延50回ほど開催しました。古参幹部は創業者にだけ忠実であり、何も変わろうとはしませんでしたが、従業員には意識の変革が芽生え、2011年3月期には過去最高益という最高の結果が生まれました。そして、創業者との会社再建の約束を果たしたので、退任しました。